「低気圧が西から接近してくるため,明日は天気が崩れる見込みです」

テレビなどの気象情報でよく耳にする言葉ではないでしょうか.

日本付近を西から東へと通過するような移動性の低気圧は,熱帯低気圧と区別して温帯低気圧と呼ばれます.
温帯低気圧は中緯度の日々の天気を大きく左右し,時として大雨や強風などの気象災害を生じさせるため,古くから研究が行われてきました.

1910年代後半から,ヴィルヘルム・ビヤークネス教授を中心とするノルウェーの研究者たちが,気象予測のために北欧に展開された観測網の結果を解析することで,温帯低気圧の発達・衰退や前線に関する理論が新しく提唱されました.彼らの提唱した温帯低気圧のモデルは「ノルウェー学派モデル」として現在でも知られています(図1).

図1:ノルウェー学派による温帯低気圧の時間発展モデル.Schultz et al. (1998)を元に一部改変.

地表面近くで温帯低気圧の中心は閉じた等圧線で囲まれており,そこから前線が伸びています.
新聞やインターネット上の天気図で,皆さんがよく目にするような特徴ではないかと思います.

さて,1970年代頃から,客観解析データや再解析データと呼ばれる,地球の大部分もしくは全球をカバーする,気象要素の格子点データが整備され,研究に利用されるようになってきました.

(再解析データに関しては,先端研での気候システム研究の「再解析とは?」もご覧下さい. https://gcd.atmos.rcast.u-tokyo.ac.jp/clim_group/?p=98

この再解析データを用いて,より客観的に温帯低気圧を同定・抽出しようという研究が,1990年代以降,盛んに行われるようになりました.現在では,同定・抽出された地表の温帯低気圧中心を元に,温帯低気圧の典型的な構造を描く事が出来るようになっています(図2).

図2:STORMS Extratropical Cyclone Atlas (2011). Data retrieved [2022/5/23] from http://www.met.reading.ac.uk/~storms.元の図を一部改変.

図2左から,地上低気圧の周辺の地表面近くで,中心に向かって反時計回りの渦状に風が吹きこんでいる様子が分かります.
図2右はもう少し上空の様子を表したものですが,やはり中心に向かって反時計回りに風が吹き込んでいます.中心の南から東側では暖かい空気が上昇し,北から西側では乾いた冷たい空気が下降しています.また,低気圧の南から北東側では背の高い雲の割合が高くなっており,雨が降っている事を示しています.

このように,再解析データなどの格子点データを利用し,典型的な温帯低気圧の構造をより詳細に描くことで,私たちが想像するように,低気圧中心の周りでは,反時計回りの風が吹き低気圧性の「渦」を形成していることが分かります.

しかし,これらの図は,数多くの温帯低気圧を集めることで,温帯低気圧に共通の特徴を抽出した上で,主に地表面や地表面にある程度近い高さの特徴を表現したものです.

では,このような条件を取っ払った時に何が起こるのでしょうか.
それを見るために,ある例について,地表面と対流圏の上層を比較しながら,温帯低気圧の様子を見てみましょう.

図3:JRA-55大気再解析を使用.風速は水平風速.

図3左(地表面)ではオホーツク海とアラスカに,何本もの閉じた等圧線を持つ大きな低気圧(A, B)が見えます.一方,図3右(対流圏上層の9km付近)では,それらに対応する気圧の谷が見えていますが,閉じた曲線はほとんど見えません.

これはなぜでしょうか.
日本のような中緯度の上空には強いジェット気流が吹いており,その南北では等圧面の高度の傾きが非常に大きくなります.北太平洋の冬では特にジェット気流が強く(図の赤色が風速の大きな領域),その北(南)にはより気圧の低い(高い)領域が広がっています.この強い南北勾配によって,上空では低気圧が閉じた曲線として現れにくくなっているのです.

(ジェット気流については,先端研での気候システム研究の「ジェット気流の季節変化」もご覧ください. https://gcd.atmos.rcast.u-tokyo.ac.jp/clim_group/?p=94

このような状況でも,地表面の低気圧に対応した上空の気圧の谷(トラフと呼ばれます)がある事は,「何となく」分かるかもしれません.しかし,閉じた曲線が無いために,反時計回りの風が吹く低気圧性「渦」がどこに見えているのか,はっきりしません.実際の個々の低気圧は,一つ一つが異なる形状を持っているために,先に示した典型的な低気圧のようなシンプルな「渦」構造をしておらず,特に対流圏上層ではどこが低気圧「渦」の領域であるかを決めるのは難しいのです.

低気圧(や高気圧)の位置や強度・構造について考える際によく用いられる量に,渦度(vorticity)があります,

渦度は,流れの中に風車を置いた時に,どちら向きにどれだけ回転するかで考える事が出来ます.反時計回りに回転させる流れが正の渦度に対応します.

例えば北半球の低気圧の中心付近では,風車を反時計回りに回転させる風が吹いているため,渦度が正の領域が,文字通り低気圧性「渦」や気圧の谷であるとすれば上手く行くのではないか,と期待されます.実際,地表面近く(高さ1500m程度)で低気圧中心を同定・抽出するために,渦度が用いられています.

しかし,地表面付近から離れ,対流圏上層の風の分布から低気圧性渦を同定しようとする際には,渦度でもジェット気流の存在に伴う問題が生じます.
渦度は風車を回転させる作用に対応すると書きましたが,流れが曲がっていなくても風車が回転する作用は生じるのです.それを分かりやすく示したのが図4です.

図4:渦度の2成分の模式図.赤が正の渦度,青が負の渦度に対応.

左図のような直線的な流れを考えた時,最も流れの速い軸の北側・南側では,流れはそれぞれ反時計回り・時計回りに風車を回転させる効果を持ちます.つまり,正と負の渦度を伴っているのです.この成分は,流れのせん断(シア)成分に伴って生じる渦度であるため,シア渦度と呼ばれます.

低気圧(や高気圧)性渦について考える際には,右の図のような,流れが曲がっている事によって生じる渦度(曲率渦度とも呼ばれます)に興味があるのですが,渦度は図の2つの成分を区別できません

対流圏上層の特に冬季には強いジェット気流が吹いているため,その両側には大きなシア渦度が存在し,渦度が流れの曲がり具合を反映してくれない,という問題が生じます.すなわち,まさに左図のような状況が起こっているのです.

ではどうすれば良いのでしょう.

流れが曲がっている事によって生じる渦度に興味があるのであれば,「流れの曲がり具合」を直接調べれば良い,と考える事が出来ます.

その発想を元に,私たちの研究室では,流れの曲がり具合=曲率を評価し,低気圧(や高気圧)性渦の構造や領域を調査・同定する手法を新規に考案しました.

曲率とは文字通り「流れの曲がり具合」のことで,曲率半径の逆数です.急カーブの警戒標識で”R=200m”などの表記を見たことがあるかもしれませんが,あれが曲率半径です.カーブの曲がり具合が車のスピードに無関係であるのと同様に,流れの曲率も風速には無関係に決まります.すなわち,季節や高さによる風速の大小を考慮する必要なく,流れの曲がり具合のみを表現する事が出来ます.

冬のある時刻の北太平洋の温帯低気圧について,渦度(相対渦度)と曲率の分布を三次元的に示したのが図5です.いずれの図も,低気圧性の回転に対応する領域のみ描画しています.

図5:JRA-55大気再解析を使用.

渦度の場合,西から東に向かって対流圏上層を流れる強いジェット気流の北側に正(低気圧性)のシア渦度が存在するため,低気圧性渦の領域が西まで長く伸びてしまっています.
一方,曲率の場合,そのような上空で西に伸びる構造は見られず,「渦」として地表付近から対流圏上層まで一貫した構造をしており,低気圧性「渦」をより適切に表現できている事が分かります.

我々はこの手法を使い,個々の低気圧性渦や高気圧性渦の三次元構造・領域を同定する事で,低気圧性渦や高気圧性渦がそれぞれジェット気流に与える影響を,世界で初めて定量的に明らかにする事に成功しました (Okajima et al. 2021).

この研究成果の詳細については,
先端研の紹介ページ:https://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/news/release/20210624.html
も是非ご覧ください.

参考文献
Schultz, D. M., Keyser, D., & Bosart, L. F. (1998). The effect of large-scale flow on low-level frontal structure and evolution in midlatitude cyclones. Monthly Weather Review, 126(7), 1767-1791.
Okajima, S., Nakamura, H., & Kaspi, Y. (2021). Cyclonic and anticyclonic contributions to atmospheric energetics, Scientific Reports (2021). DOI: 10.1038/s41598-021-92548-7

*1 より正確には,地球自転の効果を含まない相対渦度のことです.地球の自転の効果を含む渦度を絶対渦度と呼びます.